2000年6月27日
最後のバブル-恐怖の貨幣バブルとは?

さいきんバブルに懲りた日本人はなんでも現金で持っていようとする傾向がある。しかし、これも過度に行うとちょっと危険では、というお話。

バブルの絶頂の時に確か「日本の株と土地」という本を読んで大変感銘を受けた。当時の日本の株と土地の価格動向、利回り、投資状況を客観的に分析し、バブルと断定した本である。出版当時マスコミではまだ株と土地をバブルと言いきった報道は少なかったので、アカデミズムの先見性の面目躍如といえると思うのだが、なぜかその後話題になったという話を聞かない。アカデミズムの分野では当時すでにあたりまえの判断だったのかもしれないし、経済学者が現実経済を論評するというのはやはり超えてはいけない一線という判断があるのかも知れない。

とにかくその本に、貨幣はバブルであるという説明があったのが私には新鮮だった。貨幣とはなんだろう、というのは多分経済学の問題ではなくて哲学の問題なのかもしれないが、貨幣は本質的にバブルだといってもらえると非常にすっきりする。

ところで私が今は貨幣バブルではないか、と疑っているのは以下の理由による。

バブルの時の株、土地、主に交換用の財代替品として利用されていた。これらは徐々に実体価値より高額で取引され、純粋な財の代替品としての性格が強くなっていった。すなわち買い手と売り手がいるというだけの理由で価値が保たれる状況になった。株と土地は、財代替品としての価値を持つ前から、生産財としての価値も持つ(たとえばりんご農園の土地やその土地を所有する会社の株は、アプリオリにりんごと同じ価値を持つ)はずだ。しかし財の代替品として利用される時の価値はそれよりはるかに高くなる。たとえば年間りんご1万個しか生み出さない土地の値段がりんご10億個の価格で取引された。これを称してバブルと呼んでいるわけである。

貨幣はというと、今金本位制をとる国はないから始めから実態としての価値を持っていない。つまり貨幣は最初から自然発生的な余剰の信用の取引を担っているわけだ。

バブルが崩壊した時に、土地、株の価格が下がって、貯蓄量もその分減少すればバブル前の状態に完全に戻ったことになりバブルは解消したといえる。しかし実際にはそうなっていない。日本では生じたバブルを担保に銀行から借金をしてそれを消費し、溜まった貯蓄をもとに株を買うという現金->バブル->現金->バブルという信用増幅ループが機能していた。何が原状に戻っていないかというと、バブル崩壊->現金縮小という所で止まってそこに日銀と政府の大量介入、現金は維持、というところでロックされている。だから貯蓄量はバブル前よりずいぶん増えているがバブル崩壊前と同じ水準に保たれている(ハズだ)。

日本は個人投資はほとんど行わず、銀行に預金したお金で土地や株を買ってしまったので、銀行の預金は保証されなければならない、という事情でこうなってしまった。米国のように個人が直接株を買っていれば、どんどん逆回転して元へ戻ったはずだ。日本の場合本当は銀行が預金を踏み倒して、それで潰れる会社が出て、と逆回りしないと完全に元へは戻らないのだが、これはあまりに過激なので土地と株が一段下がった所で、損失は国がうめて借金はチャラにしてストップをかけているというように思える。バブルで儲かった人はそのまま銀行に預金を残している。その分は日銀が0金利で大量にマネーを供給してつじつまを合わせているわけだ。

現金というのがくせものだ。冷静に考えるとこれは日本銀行券という券に過ぎない。土地や株ならまだ実態価値が僅かながらあるが、日本銀行券は引き取り手がなければただの紙である。土地がバブルを含んでいるとすれば、現金にはもともとバブルしか含まれていない。

現金というのは元来そういうものだから、バブルであることが悪いわけではない。実体経済で流通する信用の増減によって、現金の量も自動的に増減する仕掛けができている。現金はそこそこ交換に便利だからそう簡単に放棄されたりはしないだろう。しかし現状は信用の縮小に見合った通貨量の縮小が起こっていない。

このことは、なぜ自分が物を買わずに現金を温存しようとするかを考えるとわかる。たとえば今家を買わないのは、1年後には多分今より安く買えるからだ。家の価値は変わらないとして家の価値と比例する仮想的な貨幣を基準にして考えると、そのような仮想的な貨幣ではなく日銀券を持つメリットは、だいたい年間数%の率で日銀券の価値が上昇していることになる。まさにバブル時代の土地や株と同じだ。

この状況はどのくらい続くのだろう。もし終わりが来たらどうなるだろう。我々は純粋に近いバブルがはじけたとき何が起こるかはよく知っている。だれもが我先に売りに走る結果バブル的な財代替物の価値は急減する。現在1200兆とも言われる日本の総貯蓄。たかだか50兆円程度しかない日本経済の規模でこれを一気に解消しようとすれば、貨幣価値はそれこそ泡と消えるだろう。これが狂乱インフレだ。

歴史的にも大恐慌の後は狂乱インフレが起こった例があるように記憶している。バブルというものは本質的に最後に貨幣に行きついてそこで破裂するものなのでは? 我々もその瀬戸際にいるのではないか? そう恐怖しているのは私だけなのだろうか?

そのような危険を避けるための方法はきわめてあたりまえ、かつ自然なものだ。はじける前に様々な実体価値を持つ財に分散して交換しておけばよい。株、農園、海外資産その他。多くの人がこのような行動に出れば、自然に貨幣価値が徐々に下がり、貨幣と実体価値の関係は正常な形に戻るだろう。そう思ってせっせと負債のない範囲で債権、不動産、株に資産を移している私である。この読みが正しいかどうかは20年後になればわかる。